2013年3月28日木曜日

一瞬の炎の連鎖 矢内原さんとのおはなし

昨晩は 演出家の矢内原美邦さんと トークした

個展がはじまって一週間くらいたったが だんだん冷静に 今 なにを成すべきかを考えながら制作を毎日していて その すこしの答えと とにかくたくさんのエネルギーを得たと思う!

ひとに伝えながら 自分があらためてよくわかるということもあって
自分のこと それから 表現というもののこと 突破しなければならないこと
大切なことの確認 ひとりひとりの違いから生まれる 多様さ

昨日はトークも その後バンカートで呑みながらはなしたことも わたしのぜんぶ
活性化させて よく眠れなかったよ

いつも 音楽とか 演劇とか 映像とか いっぺんにたくさんのひとに伝えられるメディアにうらやましいなと 思っていた
絵は どこまでいってもひとりきりで 絵のまえでひとと出会うのも 一対一で
なんて遅いんだ
くーっ もどかしい

でも なんというか 矢内原さんのはなし聞いていて
こういうのって 連鎖というか リレーというか そういうことかと思った

ほんとうに大切な 中心の 根本の炎があって
それを 一番最初にひとり 受け継いだら それを持って走って
聖火ランナーみたいに 次のひとに渡して リレーしていく
中心の炎からどんどん遠くへ それを伝えていくのだから いつしかその炎自体がみえにくくなって なんで炎を持ってはしっているのか たまに迷うだろう
でもやっぱりなぜか これをどんどん遠くへ より多く リレーしていかなければいけない という気持ちは 生きている限り消えなくて
炎を 一瞬で世界の裏側まで飛ばせる術をもった人もいれば 3日走っても 2キロくらいか進めない人もいて でも その2キロのあいだに 何人もの人に 渡せるかもしれない
自分の生まれもった性質は ぜんっぜん変わらないな というのも最近思うことだけど
それはいつも +と−のどちらの要素にもなっていて
その性質の +の要素を磨いて とにかく炎を渡して行く
渡す瞬間の輝きは 日常のレベルでは持続がむずかしくて でも なかったことにはならなくて
やっぱり 一瞬の炎の連鎖 リレー関係が わたしをさらに 走らせる

表現することは その連鎖をつくりだすことだ
あらゆる術で
走っておいつかないところを 飛行機でとんでいくことだ
でも やっぱり歩かないと届かない場合もあって
わたしは 自分と 矢内原さんの使う術ともっている性質の違いから
自分が 中心の炎からどれくらいの距離にいる存在なのかが わかった気がする

とにかく遅くしか考えられない だから油絵の具という遅いマテリアルを使って
絵という きわめて現代の情報スピードにのれないメディアを使って
ひとりひとりと対話することしかできない公開制作を使って
やっているんだと思う
でもその中心には 炎の連鎖への意識があって
人とこうやってはなすと その中心が同じ あとはぜんぶ違っても と思うことができるから 勇気を得るんだな

呑みながらはなしているときに やるからには成功したい という矢内原さんの言葉にぐっときた
成功ってなに と思っていたけど そうだよ 成功したいよ
今だしきれるもの全部出して 使い切れるもの全部駆使して 炎の連鎖を なるべく大きく 伝達したいよ どんだけ大きくなっても ぜんぶ になんかならないから
また創るけど 余力や 次でいっか なんてのはだめだよ
成功したいよ そういうことだよ

個展期間中の今が それだよ まさに 終わってから考えるんじゃ遅いんだ
今やれよ ってね

今回新作として描いた絵に ちょっと他と異質な 夜の絵
「熱量は伝播して山にのぼる」というタイトルのものがある
これはほんとうに 具体的な場面と状況から生まれた絵で
わたしはこの絵をかこう と思った時 絵として様々なことを自分也に考えてかいたけど

昨日のはなし そこからあらためて思ったことは
まさに 熱量は伝播して山にのぼる ってことだわ

自分の中で届いている確信を 人と確かめ合っていけること

その瞬間が また わたしに炎を持って 走らせることになっていきます

ああほんとうに よかった

燃えています

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