2013年3月2日土曜日

強風に耐えうる絵 

ハギエンナーレ プレスオープン 午後から搬入
なんとも風のつよい日で はじめ 絵が風にとばされかける
重しをのせても ずれる なんとかかんとか 固定するも
一度 おちる さっそく傷
一ヶ月間 雨風にさらされるこの絵 なにがおこるのかしらん
家の中でわいわい ビールなどのみながら 庭でさむそうな絵をみる
なんか かわいそう でも おもしろい眺め
なんか すごく気になって 何度も窓から絵をみる 風景のなかにある絵
それはもう 風景なんじゃないか
でも この世界のあらゆるものが 実は ひとつひとつ独立していると
わかる眺め
人がひとり 立っているみたいにみえる ある意志をもって そこにたたずんでいる
強風にさらされながら でも そこでなにかを放ってる
室内の白い壁におさまれば それは安定した美術になるのかもしれない
まだうまく言葉にできないけれど
そして 我が子を寒空の下においてけぼりにしているような感覚もあるけれど
夕方 自然光でみたときの絵 夜の寒空 薄明かりのなかでみた絵
表情を変えて ひとりのひとのたたずまいを 違う角度からながめるような感覚がある
パーティは 思ったより浮き足立たず ひとりひとりの作品をじっくりみた
ひとつひとつの意志 見た目も 放つものもそれぞれに違い それぞれ興味深く伝わる
表現
なんだろうか
でも とても良い 空間だと思った
この場所で この 萩荘というアパートがあって いろいろな 人間の移り変わり
想いがあって 今こういうふうになってきた その歴史 かいま見る
いつか聞いた
「ひとつの直接性」という言葉を思い出す
作品のひとつひとつが ひとつの直接性であると気がつくと
そこにいるだれもが 実はひとつの直接性であって
萩荘も ひとつの直接性のある結果
でも それもまた 移り変わって行く ひとつひとつの直接性によって

ただで美味しいビールとたべものをいただきながら
作品をみながら うん!と確信する 空間

パーティはいつもわちゃわちゃして あまり人ときちんとはなせないことが ふわふわするのでもあるけれど 作品をみていると それだけで 話す以上のことがわかる
そして 自分の作品もまた そのようにして 人に面と向かわれた ということがわかる瞬間はうれしい
今日は あるしん君が わたしの作品をみて そこに描かれているオリーブの木のはなしをしてくれた オリーブはいい木だ すきだ というはなし
わたしも オリーブの木を描いて その木がすきになったこと 葉っぱの色の良さ
それを油絵で描いているときの楽しさ そういうはなしをした
うれしかった
嬉しい と 言いました

これから一ヶ月 強風や雨や あるいは予期しない出来事で(猫におしっこかけられるとか 巨大なヒョウが降ってくるとか 隕石が絵に落下して穴が空くとか)絵がどうなるか
わたしは 毎日 おもうだろう
風がつよい日は 絵を心配するだろう もしかしたら 助けにいこうと決意する日もあるかもしれないし いや だいじょうぶ と 思う日もあるかもしれないけど
毎日 絵がそこにあること 風景のなかにあることを 思い出すだろうとおもう
これは 新しい感覚です
展示したあとの絵を 心配する 今日はどうだったかな と思うのはいいね
大切なひとが 今日どうだったかな 風邪ひいてないかな と思うのと似ている
この空の下でおこる あらゆる事象が その想いを引き起こす
一ヶ月 とにかくおもうことにしよう 絵のことを

でもまあ やっぱり隕石はおちてほしくないのです
来週のオープニングでまた会うときまで どうか無事で そしてひとりでも多くのひとと
面とむかってください と 祈ります

よいパーティでした
ハギエンナーレの告知は また来週詳細に

にしても 寒いよ 風

壁のむこうとこちら

風景が重なる

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